ページの先頭 ここを読み飛ばして本文へ

じもラブ Vol.13 浅香山部屋親方 浅香山博之さん

浅香山博之さん

長年にわたり、身延山久遠寺で行われる節分会に毎年欠かさず参加されており、現役時代には、場所中に負った大けがを下部温泉で癒したこともある浅香山親方。東京都墨田区にある浅香山部屋に親方を訪ね、身延への思いを語っていただきました。

相撲大会でスカウトされ、中学卒業後に友綱部屋へ入門。
若乃花、貴乃花、曙など錚々たる同期と共に角界を賑わせる。

浅香山親方インタビュー地元・福岡の友綱部屋の後援者の方に声を掛けられて、中学卒業と同時に相撲界に入りました。子どもの頃から体格が良く、中学3年生のときには180センチ100キロ。柔道をやっていたのですが、相撲の大会があれば誘われて出ていましたので、そこで見染められたようです。
同期入門には後に横綱となる若貴兄弟や曙がいて、相撲界全体が盛り上がった時期でした。どんどん強くなって昇進していく彼らを追いかけて、19歳の時に新十両、20歳で新入幕を果たしました。同期として彼らと同じ時代に同じ場所にいられたことは、幸運だったなと思います。
23年間の現役時代には、通算で2000近くの取り組みをしました。いろいろな思い出がありますが、特に2000年1月場所の千秋楽、武双山関との取り組み、この一番に負けたことで、自分は負け越して関脇を陥落し、反対に武双山関は幕内初優勝。あんなに屈辱的なことはなかったですね。いろいろな声が耳に入ってきて精神的にもきつかったのですが、そこからそれまで自分がやってきたことをすべて見つめ直し、心身ともに鍛え直して次の場所から気持ちを新たに相撲に向かうことが出来たので、ある意味ターニングポイントになった、最も記憶に残る思い入れのある一番ですね。

 

大関時代の魁皇。2010年(平成22年)初場所。幾多の怪我を乗り越え、土俵に立ち続けた姿は、多くの相撲ファンの記憶に残っている。

▲大関時代の魁皇。2010年(平成22年)初場所。幾多の怪我を乗り越え、土俵に立ち続けた姿は、多くの相撲ファンの記憶に残っている。

 

大関候補として期待を寄せられるなか場所中に大けが。
土俵への復帰を危ぶまれるも、下部温泉で療養して復活。

浅香山親方インタビュー2相撲に怪我は付き物で、それまでにも頻繁に怪我はしていたのですが、三役に上がり、大関候補だと期待もしていただいていた1997年の5月場所で、大きな怪我をしてしまいました。すぐに救急車で病院に運ばれて検査を受けたところ、股関節左側の腱が全部はがれてしまっていると。左足を自力で動かすことができない状況なのに、医者からは、できることは何もないので、とにかく安静にしているようにと言われて、患部を冷やす氷嚢だけ渡されたんです。それで、数日は大人しくしていたんですが、そのまま回復を待っているのは嫌だったので、何か良い方法はないかと探していたときに勧められたのが、下部温泉での湯治でした。
そんなところがあるなら、ぜひ行ってみたいと、藁にもすがる思いで、トレーナーと同じような怪我をしていた若い衆と3人で下部温泉に行きました。あそこの温泉は熱い湯とぬるい湯があって、交互に入るんですよね。自分も、朝昼晩の1日3回、時間をかけて交代浴をしました。
リハビリは、お湯の中で足を開いたり閉じたりすることから始めたのですが、最初はそれもできなかった。それが、1週間くらいで少しずつ動かせるようになり、しばらくすると歩けるようにもなりました。ある程度自由に動けるようになってからは、周辺を散歩したりグラウンドで体を動かしたり…。そうこうしている間にかなり良くなったので、東京に戻りました。下部温泉に逗留していたのは、1か月ほどでしたね。

下部温泉郷東京にいるとどうしてもいろんな声が入ってきて、精神的にも追い詰められてしまうんです。でも、下部温泉へ行ってからは、余計なことを考えなくてもよくなって、本当にのんびりできました。体だけでなく気持ちも楽になって、焦りが出るようなこともなかったですし、旅館の皆さんもとても良くしてくれるので居心地がよく、落ち着いて怪我の治療に専念することができました。
医者から、復帰できるかもわからないと言われた怪我でしたが、湯治のおかげで思ったよりも回復が早く、同年の11月場所を勝ち越しで終え、翌年の1月に小結に復帰することができました。
 
その後も怪我をしたときなどに何度か利用させてもらいました。お湯の効能はもちろんですが、のんびりできて、心を休めるためにもよいところですよね。その後忙しくなってからは時間が取れず、足が遠のいてしまったのですが、部屋のみんなで、心身のメンテナンスをする合宿なんかできたらいいなと思っているところです。

 

浅香山親方インタビュー3

30年以上参加し続けている身延山久遠寺の節分会(せつぶんえ)。
今年も頑張ろうと決意を新たにする、とても大切な行事のひとつ。

優勝パネルの前で最初にお招きいただいたのは、十両の頃。まだ20歳そこそこだったと思います。都合が悪く行けなくなった関取に頼まれて、久遠寺なんてなかなか行ける場所ではないし、節分会に参加できる機会なんてそうそうないわけですから、とてもありがたいことだと思って引き受けたのが始まりで、そこから毎年お声をかけて頂けるようになりました。なので、もう30年以上になりますね。
その間、成績が振るわなくて「今年はないかな」と思うこともあったのですが、そんなときも変わらずお声をかけていただいて、本当にありがたいですね。30代の後半には、初場所後に盲腸になり、今回は行けないかと諦めかけた時も退院が早まり、退院した翌日に身延へ向かったなんてこともありました。今では、これを終えないと自分のなかで新しい年が始まらないという、とても大事な行事になっています。
親方となった今の目標は、強い力士を育てること。自分が育てた関取が久遠寺の節分会に呼んでいただけるようになればいいなと、久遠寺に行くたびに決意を新たにしています。

部屋の前で節分会のおかげで年に1度は必ず身延町を訪ねる機会があるのですが、そのたびにあたたかく迎えていただき、リラックスして楽しい時間を過ごさせてもらっています。もともと山の方で育ったので、身延には故郷と似たような雰囲気があり、田舎に帰ってきたような気持ちにもなるんですよね。
時代とともに変わっていく面があるのは仕方ありませんが、下部温泉にしろ、身延山にしろ、いつまでも飾らない素朴な場所、訪れる人をあたたかい気持ちにさせてくれる場所であって欲しいと願っています。​

節分会

 


親方プロフィール​浅香山博之(魁皇博之)

1972年福岡県直方市生まれ。友綱部屋に所属していた元大相撲力士。最高位は大関。23年間にわたり現役を続け、優勝5回、通算勝ち星1047勝をはじめとする数々の偉業を成し遂げた。2011年7月場所を最後に引退。年寄 浅香山を襲名し、墨田区内に浅香山部屋を設立して力士の育成に励んでいる。2024年より、公益財団法人日本相撲協会理事。身延町観光大使。

Share

<外部リンク>
現在地 トップページ > じもラブ > じもラブ > じもラブ Vol.13 浅香山部屋親方 浅香山博之さん