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じもラブ Vol.09 みのぶ観光ボランティアガイドの会

身延町では、平成19年から、身延山の歴史や見どころ、ガイドの心得などを学ぶ「ボランティアガイド養成講座」を開講し、修了者をボランティアガイドとして認定して、これまでに多くのお客様をご案内してきました。令和3年3月には修了者を中心に「みのぶ観光ボランティアガイドの会」が正式に発足し、令和5年1月「おもてなしのやまなし知事表彰」を受賞しています。

身延町では、平成19年から、身延山の歴史や見どころ、ガイドの心得などを学ぶ「ボランティアガイド養成講座」を開講し、修了者をボランティアガイドとして認定して、これまでに多くのお客様をご案内してきました。令和3年3月には修了者を中心に「みのぶ観光ボランティアガイドの会」が正式に発足し、令和5年1月「おもてなしのやまなし知事表彰」を受賞しています。
現在、19名が精力的に活動しているという「みのぶ観光ボランティアガイドの会」。望月忠男会長、久保田孝明副会長、古屋重子さんのお話には、ふるさと身延を思う気持ちが溢れていました。

 

きっかけは、身延を思う気持ち。ボランティアガイドを地域振興につなげていけたら…

望月忠男会長望月:もう20年程前になりますか。私は中学校の社会科の教員をしていたのですが、当時は退職して、生まれ育った身延町のために何かできることはないか、自分も力になれないかと考えていました。そんなとき、身延町がボランティアガイドの養成講座をやると広報で知り、『そんなものがあるのか、やってみようか』と、参加したのがきっかけです。私は2期生になりますが、約40名の受講者がいたように記憶しています。
1か月ほど時間をかけていろいろと勉強し、町から任命証をいただいて、ボランティアガイドをするようになったのですが、当時はまだ知られていないこともあって、依頼は少なかったですね。

 

久保田孝明副会長久保田:私はお隣の南部町の出身ですが、母校が身延高校なんですね。卒業後は東京の企業に就職し、夜学に通いながら働いていたのですが、最初の上司から「久保田君は身延高校の出身なんだね。うちの本山は身延山なんだよ」と声をかけられましてね、そのせいかどうかわかりませんが、とてもかわいがっていただきました。その後も、転勤するたび行き先々で身延高校の出身だということでいろんな方とご縁がつながり、職場の仲間を身延へ案内したことも何度もあります。
そんな風に、外へ出たからこそ身延の良さを感じる機会や、身延の恩恵を受ける機会がたくさんあったものですから、会社をリタイアし、これからは社会のために尽くしたいと考えたときに真っ先に思い浮かんだのは、身延でした。身延で何かできないかなと思っていたところ、ボランティアガイドというものがあると友人から教えてもらい、町外に住んでいても参加できるかと問い合わせ3期生として受け入れていただいて、今に至ります。

 

古屋重子さん古屋:私はガイドをするようになってまだ10年目。ガイドの会のなかでは、新参者です(笑)。でも、実はずいぶん前からガイドはしたかったんですね。というのも、私は京都に行くことが多かったのですが、京都では行く先々でボランティアガイドの方に「ご案内しますよ」と声をかけていただけるんです。それでガイドをお願いすると、普通なら見逃してしまうようなことも詳しく教えてくださるので、深い満足感が得られるんですね。ガイドってすごいな、いつか自分も身延山のガイドをやれたらいいなと思っていたので、退職を機に始めました。
ただ、私がやろうと思った10年前にはすでに養成講座は終了していたので、講座は受講していません。すでに活動されていた先輩方に相談し、資料をお借りしたり、一緒に見学に行っていただいたり、先輩方のガイドツアーを見学させていただいたりと、手厚いご指導と支援のおかげで、なんとか一人でガイドができるようになりました。

 

ボランティアガイドの様子

 

一人ひとりの思いや興味を反映させた、オリジナリティあふれるガイドツアー

望月:身延山では僧侶によるガイドツアーもあって、そちらは宗教的な部分についても詳しく解説をしているようですが、私たちは、お寺さんとの関係性のなかで、あまり宗教的な部分には踏み込まず、歴史や観光といった観点からご案内するようにしています。

久保田:基本的にはボランティアガイドのガイドブックに従ってガイドをするのですが、人によって内容が少し違うのも特徴ですね。おもしろいことに、一人ひとり切り口が違うんです。ここの話はあの人がうまいよというようなことがあって、「ぜひ聞いてみたいからガイドに同行してもいい?」なんていう個々の交流も盛んですよね。

望月:ええ、会員のみなさんは、それぞれ思いを持って活動に参加されていますからね。会での研修だけでなく、個人的にも身延町で開催する勉強会や久遠寺の勉強会に積極的に参加して学び取り、それらを加味してガイドをするので、オリジナリティが出てくる。それも我々の会の魅力と言えるかもしれませんね。
私自身も多少のアレンジは加えていて、最近の例でいうと、2022年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」が鎌倉幕府の話だったことから、最近は、鎌倉幕府と日蓮聖人の関係についても少し詳しく触れるようにしました。そうすることで、たまたま領主が日蓮宗の信者で、日蓮聖人を身延山に迎え入れたというだけでなく、その背景にあった事情や聖人のカリスマ性、すなわち、日蓮は全国の状況を把握し、自身の予言を広げて多くの民を救いたいという気持ちから行動していたのだということを、この機会にぜひ知ってもらえたらと思って話をしました。

久保田:このお山は、日蓮聖人が晩年を過ごした場所なんですね。日本史の教科書には、他の教団を否定したり鎌倉幕府に意見したりと強硬な布教をして敵も多い人物として描かれているので、怖い人として認識しておられる方が多いのですが、身延山での9年間の日蓮聖人の姿はそれとはかなり違っています。例えば、私が大好きな日蓮聖人の有名な詠に、「立ち渡る 身のうき雲もはれぬべし たえぬ御法の鷲の山風.」(身延の浮雲が絶えることのない山風によって晴れわたるように、心の迷いやわが身の憂いも、日本の霊鷲山(りょうじゅせん/お釈迦様が経典を書いたインドの山、すなわち仏教の原点)である身延山の永遠の妙法の風によって晴れるに違いない)があるのですが、この詠から、日蓮聖人にとって、身延山は霊鷲山すなわち仏教の原点ともいうべき存在だったということがわかるんですね。その点に私はとても興味があるし、お客さんにも伝えていますよ。

古屋:私は、自分が女性だからということももちろんあるんですが、日蓮聖人は、女性こそが救われるべきということを初めて声高に述べた人だということがとても大切だと思っていて、それを伝えるようにしています。平安仏教までは、人を救済すると言いながら実はその対象は男性で、女性は視野にも入っていなかったのですが、日蓮聖人は立正安国論のなかではっきりと述べていますし、身延で過ごした9年間に書かれた信者あての手紙からも、女性に対するあたたかいまなざしや優しい気持ちが感じられます。実は、聖人の手紙に関する研究は盛んで、最近は、日蓮聖人の従来のイメージを覆すような投げかけも増えてきているんですよ。そんなこともあって、私は、ガイドをするときには、「ここは女性の聖地です」ってご案内しています。

 

ガイドボランティア資料

 

醍醐味は、なんといっても日本全国から訪れるお客さんとの交流

「おもてなしのやまなし知事表彰」の表彰状を手にする望月会長と久保田副会長望月:お客さんは、いろんなところからおこしになります。最近は県外からのお客様も増えていますし、個人で申し込む方もいれば、企業などの団体、信者さんの集まり、加えて学生さんなど、本当にさまざまです。なので、対応が難しい。私たちは、いつも同じことをするのではなく、それぞれの対応をするように心がけています。
具体的には、最初に必ず、「どこからいらしたのですか?」「近くにお寺はありますか?」「宗派は何宗ですか」といったいくつかのおたずねをし、相手のバックグラウンドを多少なりとも把握した上で、何かしらのとっかかりを見つけて話をつなげたり、相手の反応を見ながら、共有できそうな場所や話題を選んだりするんです。難しいことですが、私のガイドを通して、身延山が心のよりどころの場所であることを実感してもらえたら嬉しいですね。

久保田:私も、より楽しんでもらえるように、お客様に合わせてその日のガイド内容を組み立てて案内するようにしています。宗教の世界なので難しいこともあるのですが、日蓮宗や日蓮聖人に縁のある方であれば、おのずと宗教に関する話も出てきますし、そういった内容の質問をされることもあるので、そうした場合にはテキストを見ながらはっきりとお応えするようにしています。長年の疑問が晴れたと、すっきりされる方も結構いらっしゃいますよ。

望月:そうですね。例えば「立正安国論」と言ったときに、ピンとくる方と、そうでない方がいるわけですから、そこでも対応が分かれますよね。会話を通して、あるいはその場その場で、相手の反応をよく観察しながら、その人の興味のあることを引き出して対応していくということが、ガイドのコツだと思います。
これは私に限ったことではないと思うのですが、やっぱり、身延に来てもらいたいという気持ちが強くてガイドをやっているのですから、お客さんに楽しんでもらう、もっと興味を持ってもらう、そのために何をすればいいのかという視点は大事にしていきたいですね。

古屋:毎回、「良かったよ」と言っていただけるのでとても嬉しいのですが、なかでも特別なお客様というか、ピピっと残る出会いというのはあります。
例えば、以前、東京から来られた1人の高齢の女性の方と、4時間ほどかけて全山を歩いたことがありました。長い時間一緒にいると、場所場所の説明だけでなくいろんな会話をしますから、相手の方が抱えている悩みとか葛藤のようなものを感じることもあるんですね。その方もそうだったのですが、最後、身延駅でお別れするときに、「今日は来て良かった。心の中のもやもやが、少しすっきりとしたわ、ありがとう」とおっしゃって、その後お手紙も下さいました。
それから、遠野から来られたご家族とは、岩手県や宮沢賢治さんと法華経のかかわりに関するお話をしたり、身延山の山門を入ったところにある宮沢賢治の碑をご案内したりしました。別れ際に、お持ちになられていた宮沢賢治に関する碑がある場所を集めた本を、「身延山の碑の写真も掲載されているからどうぞ」とくださって、さらに、後日、お手紙と岩手県にある宮沢賢治記念館の飴を送ってくださったので、会の皆さんとシェアしました。
私たちは単なる一ガイドなんだけれど、単なるご案内をするだけでなく、交流ができた、そこからつながれたというような、ちょっと特別な出会いやふれあいは、みんなそれぞれあるんじゃないかと思いますね。

望月:そうだね、同じようにガイドをやっているんだけれど、やっぱり心に残るお客さんはいますよね。私の場合は、とにかく詳しくて、こちらが用意していたことを話す暇もないくらい質問攻めにされたことがありました。質問をされるというのは嬉しい事でもあるのですが、反面、豊富な知識が必要になるので、もっと勉強しなくてはと思いましたね。後から補完のお手紙を送ったこともありましたね。

 

ボランティアガイドの様子5ボランティアガイドの様子

 

久保田:私は、コロナ禍とはいえ、甲府の小学校の子ども達が遠足や修学旅行で来てくれるようになったことが、とても嬉しいですね。実際に案内をして、子ども達から、「名前を聞いたことはあったけれど、初めて来た。身延山ってすごいんだね、来て良かった」といった声を聞くことができたときには、本当に良かったなぁと思いましたね。

望月:ありがたいことに、最近はガイドの依頼も増えているんですが、今一つ思っているのが、いかにして会全体としてレベルをキープしていくかという課題です。私たちは、継続的に個々に勉強しながらガイドを続けてはいるものの、会全体のレベルアップもしていけたらと思うんですね。そのために、ガイドブックを改定して読み合せをしたり、何回も研修会を開いたりしてきました。しかし、ガイドを終えた後で、これも言わなくちゃいけなかったなぁとか、これを落としたなぁと反省することが多く、なかなか満足のいくガイドをするのは難しいなぁと改めて思いますね。

古屋:本当にそうですよね。私も失敗はたくさんあって、終わった後に「あれ言い忘れたー」と落ち込むこともあります。でも、それでもお客さんからは、「すごくよかったよ」とか、「楽しかったです」、「良いところでした」なんて肯定的な言葉をいただくことが多くて、そこに喜びを感じて、それが次もやろうというモチベーションにつながっています。
実は、身延山をご存じない方って意外と多いようで、「こんなすごいところだったんですね」という感想をいただくことが多くて、それを聞くたび、「この人たちはきっとこの思いを誰かにお話ししてくれるだろうから、それがまた新しいお客様につながるといいな」と思っています。

 

ボランティアガイドの様子2

 

身延は特別な場所、大切な場所。これからも守り、つなげていきたい。

望月:今までなかなか「発信」ということができていないので、今後は、もう少しこういう活動をしているということや、身延の観光情報などを発信していけたらと思っています。そして身延に行けば何かがある。何かが得られる。そんな場所に身延がなればいいと思います。

古屋:メンバーも増やしていきたいですよね。私は、若い方にぜひ参加してほしいなぁと思うんですよね。というのもね、菩提梯を下から登りたいという方、結構いらっしゃるんですけれど、あそこをご案内すると体力が持たない。やっぱり若い方の力を借りたいですね。

久保田:せっかくノウハウを蓄積してきたので、後進に繋いで行きたいですよね。今町外から参加しているのが、私を含めて3名なのですが、今後は町内に限らず町外、県外からも参加してもらえたらとも思いますね。学生さんも大歓迎です。

望月:私は、生まれも育ちも身延ですし、この自然に恵まれたまちをこれからもずっと残していきたいと思っています。そのためには、新しい力が欲しいし、希望も欲しい。身延山にたくさんの方々が来てくれることは、身延町はもちろん、峡南地域全体にとっても活性化につながるし、大きな希望になると思います。私たちのガイドが、町や町民が元気になっていくことにつながれば嬉しいですね。

古屋:私も、身延で生まれ育って、大学4年間だけ東京で過ごしましたが、卒業後は山梨で小学校教員になり、今に至ります。私はこの身延町大好きです。というのも、美しく豊かな自然があって、身延山はもちろん、下部温泉や西嶋地区の紙漉きなど、それぞれの地域に文化や特色があって、本当に良いところなんです。私は今、この町にいて、身延山のガイドをしながら身延の良さをいろんな人に伝えることができている。とても満足しています。

久保田:私は南部町の出身で、今は甲府に住まいがありますが、楽しかった高校時代を過ごし、東京へ出てからもいろいろと恩恵を与えてくれた身延町は、愛着のある特別な存在です。
今、ボランティアガイドを通して、再びこの地に仲間ができ、共に、身延を盛り立てていきたい、峡南地域を活性化したいという思いのもとで活動できることに、喜びを感じています。これからも、ボランティアガイドの会の皆さんや、日本各地からこの地を訪れてくださるお客さんとの交流を私自身も楽しみながら、少しでもこの町に恩返しができたらと思っています。

 

ボランティアガイドの様子3ボランティアガイドの様子4

 

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