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じもラブ Vol.05 西伝製紙 笠井一洋さん

歴史をたどれば450年以上前の戦国時代にまで遡る西嶋和紙。身延町が誇る伝統工芸のひとつです。曾祖父の代から続く西嶋の紙屋に生まれ、現在は数少ない手漉きの担い手として活躍する笠井一洋さん

 歴史をたどれば450年以上前の戦国時代にまで遡る西嶋和紙。身延町が誇る伝統工芸のひとつです。曾祖父の代から続く西嶋の紙屋に生まれ、現在は数少ない手漉きの担い手として活躍する笠井一洋さんに、西嶋和紙に寄せる思い、そして身延愛を語っていただきました。

日常のなかに当たり前にあった、紙漉きの風景

笠井一洋さん 言い伝えによれば、西嶋和紙は、戦国時代、西嶋村の望月清兵衛が、現在の修善寺のあたりで和紙の製法を学び、その技術を持ち帰って紙づくりをしたことが始まりとされています。その後、1571年に清兵衛が漉いた紙を武田信玄に献上したところ、信玄はいたく喜び、米の代わりに紙で年貢を納めることを認めるとともに、清兵衛を紙の役人として取り立てました。西嶋は山間地で満足に米作ができない貧しい地域でしたからね、そんなこともあって、清兵衛の指導のもとで紙漉きが盛んになり、次第に地場産業になっていったようです。
 私が子どもの頃はどの家にも広い土間があり、そこで家族の誰かが紙漉きをしているというのが、ごく普通の風景でしたね。

 私は西嶋に生まれ、家としては8代目、紙屋としては4代目になります。高校卒業後、東京の大学に進み4年間都会暮らしをしましたが、卒業後は迷うことなく帰郷して紙屋になりました。当時は、長男は地元に戻り家業を継ぐのが当たり前だったということもありますが、仲間意識が強く「やるぞ!」の一声で全体が一つになるという西嶋の雰囲気が好きだったり、地域のつながりが心地良かったりしたことも、大きかったように思います。

公文書に相応しい紙から、書道家にも愛される紙へ

 西嶋和紙の特徴の一つは原料です。基本的には、松でも、竹でも、草でも、繊維であれば何でも紙を作れるのですが、なかでも代表的な原料として、「楮(こうぞ)」「雁皮(がんぴ)」「三椏(みつまた)」という三種類の木があり、このうち西嶋では「三椏」が使われてきました。三椏は、繊維が細いため薄くて丈夫な紙を作ることができ、古くは公文書用の紙や半紙を作っていたと聞いています。三椏から作る紙は墨やインクが滲まないので、公文書には都合が良かったんですね。

三椏(みつまた)

 

 一方、今の主製品になっている書道用の画仙紙が作られるようになったのは、戦後になってから。もともと、展覧会などに出品される作品用の高級な画仙紙は中国から輸入していたのですが、価格が高騰し、思うように手に入らなくなってしまったため、作ってみないかと問屋さんを通して書道家の先生から話があったようです。ただ、滲まないことが重要な公文書用の紙と違い、書道では墨の発色やかすれ具合、にじみ具合なども重要とされるため、開発には苦労もあったようですね。原料を三椏から藁やバージンパルプに変えるなど当時の先輩方が研究を重ねた結果、名だたる書道家の先生方にも認めていただける画仙紙を作れるようになったと聞いています。

 もう一つの特徴は、漉いた後の紙を天日干しにすることです。西嶋では、一枚一枚漉いた紙を重ね、ある程度の厚さになったところで圧縮機にかけて水気を絞り、天日干しをします。1か月ほどで硬い板のような状態になりますから、それを水に放って一枚一枚はがし、熱した鉄板に広げ乾かして、仕上げるのです。時間も手間もかかりますが、これにより、原料に含まれる糊成分が抜け、繊維同士ががっちり絡んで布のようなしなやかで強い紙になる。それが西嶋和紙の大きな特徴でもあるんですね。日本全国に紙の産地はたくさんありますが、天日干しをするのは西嶋だけと聞いています。

笠井一洋さん

笠井一洋さん

辛くても続けてきたのは、ものづくりの楽しさと喜びがあるから

 紙漉きは肉体労働です。昭和40年代に、水と原料とタモ(糊)の割合が常に一定になるようにと西嶋で開発されたセイコー式簡易抄紙装置や、蒸気で温めた鉄板で紙を乾かす装置などによって、昔よりは楽になっているものの、水を使うから冬場は寒いし、中腰の姿勢での作業が多いため腰痛は職業病ともいわれます。

 じゃあなんで続けているのかと言われれば、魅力があるから。ものを作るということは、やっぱり楽しいですよ。もちろん、出来が悪ければ怒られたり返品されたりする厳しさもありますが、一方で、自分が手をかけて造ったものが、誰かに喜んで使ってもらえる、大切な作品を書くために選んでもらえると思えば、やりがいも喜びも大きい。そういう意味では、お客さんから「この紙が欲しい」と言ってもらえることが一番の糧であり、それがあるから体が辛くても続けていられるんですね。この仕事に就いてかれこれ40年近くになりますが、今振り返っても良い仕事をさせてもらってきたなと思います。

笠井一洋さん

笠井一洋さん

伝統工芸をつなげるという使命

 西嶋は狭い地区ですが、最盛期には100軒ほどの紙漉き業者がありました。それが今では7軒になり、後継者問題も深刻です。
 そこで、西嶋和紙という伝統工芸があるということを広く知ってもらい、次世代につなげていこうと、同業者の仲間たちと「西嶋和紙の里」を拠点にいろいろな活動もしています。その一つが、町内の小中学校の子供達に、自分で和紙を漉いてもらい、それを卒業証書に加工して贈るというもので、今年も多くの子供達が目を輝かせて紙漉きを体験しました。また、待っているだけでなくこちらから出向いて行こうということで、「移動和紙体験車」も導入しました。これにより、簡単に出張体験ができるようになり、学校や施設、地域の集まりなどでも、手軽にハガキづくりなどを楽しんでいただけるようになりました。

 長い間、書道用紙を主戦場にしてきた西嶋ですが、これからは、より広い視野と柔軟な発想でものづくりをしていかなければと思っています。私たちの活動の拠点でもある「西嶋和紙の里」では、気軽に和紙漉き体験を楽しんでいただけるほか、西嶋和紙をはじめとする日本全国の和紙に触れたり、和紙を使った美術工芸品を愛でたりできますので、ぜひ多くの方に足を運んでいただき、さまざまな声をお聞かせいただけたらと思います。

笠井一洋さん

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