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身延山久遠寺

久遠寺

静寂に包まれた境内に響く大鐘楼の鐘の音や、うちわ太鼓を叩き、経文を唱和しながら歩く修行僧の姿など、身延山ならではの風情がそこかしこに息づく身延山久遠寺。春には見事に咲き誇る樹齢400年以上といわれるしだれ桜が、夏には雄々しい緑の木々が、秋には艶やかな紅葉が、そして冬には雪化粧と真っ赤な南天の実が、壮大な伽藍に彩を添え、いつの世も訪れる人を魅了する、歴史と文化のパワースポットです。


750年の歴史が育んだ、稀代のパワースポット

日蓮宗の総本山として広く知られる身延山久遠寺。その歴史は、鎌倉時代に始まりました。
地震、洪水、飢餓、疫病、騒乱など、禍が相次ぐ世にあって、「法華経」の教えで人々を救おうとした日蓮聖人。三度にわたり幕府に諫言するも届かず、流罪の身となります。
その後流罪赦免された日蓮聖人は、「三度聞き入られずば山林に身をかくせ」の故事に従い、信徒である甲斐国波木井郷 南部実長公の招きを受けて、1274年に身延山に入山。以後9年にわたり、西谷に結んだ草庵で法華経の講義や唱題修行に精進し、弟子の教育や曼荼羅本尊などの執筆に没頭しました。

1282年、療養と両親の墓参のため常陸国(茨城県)に向かった日蓮聖人は、道中の武蔵国池上(東京都大田区)で病に倒れ、帰らぬ人となります。しかし、日蓮聖人の教えと人々を思う気持ちは絶えることなく、多くの弟子や信徒たちによって連綿と受け継がれてきました。

パワーを感じながら、身延山をのんびり散策

身延山久遠寺​三門をくぐり、鬱蒼とした杉木立の中に続く287段の菩提梯を上りきると、目の前がパーッと開け、広々とした久遠寺の境内が現れます。壮厳な本堂をはじめ、艶やかな朱塗りの棲神閣祖師堂、2009年に再建された五重塔などが立ち並んでいます。

多くの建物は回廊でつながっているので、まずは本堂に入り、ご本尊に手を合わせてから、心のままに巡ってみてはいかがでしょう。本堂の天井でにらみを利かせている墨龍や、絢爛豪華な内陣の飾り、等身大の15体の仏像からなるご本尊、国宝や重要文化財も展示されている宝物館など、見所がたくさんあります。また、写経や写仏に挑戦したり、偶然見かけたお坊さんに話しかけてみるのもおすすめ。運が良ければ、ありがたいお話を聞くことができます。

身延山久遠寺​身延山久遠寺は、奥之院思親閣を「頭」、諸々の伽藍を「胸」「手」「膝」などと、日蓮聖人の身体に見立てて配置されています。また、同時に本尊の曼荼羅本尊になぞらえて、法華経の救いの世界を表しているともいわれています。そんなことも意識しながら散策すると、また違った世界が見えてくるかもしれません。


パワーを感じながら、身延山をのんびり散策


総門(そうもん)

身延山の玄関。1274年、日蓮が出迎えの南部公長公と対面した「逢瀬」の遺跡に、1665年に建立されました。門をくぐった左手の石垣に、対面の際に日蓮が休息したと伝えられる自然石が残っています。
なお、扁額の「開会関」は、この門をくぐることによって仏の世界に入ることを意味しています。

総門(そうもん)

三門(さんもん)

日本三大三門の一つ。仏教の摂理に基づき「空」「無想」「無願」の三解脱門を表わすことから、三門と呼ばれます。左右の金剛力士像(仁王像)は、ある信者が一晩で横浜から運んだという伝説から健脚の神様とされていて、多くのわらじやランニングシューズが奉納されています。また、楼上の内陣には釈迦如来像と16羅漢像が安置されていて、毎年8月7日に御開帳されます。

三門

菩提梯(ぼだいてい)

三解脱を表す三門と、涅槃に見立てた本堂を一直線に結ぶ菩提梯。ここには、三解脱をした者が、最後の難関を経て涅槃へ行きつくというストーリーが再現されています。
天に向かって伸びているかのような石段は、杉の大木に囲まれ、真夏でも冷涼な空気が立ち込める神聖な場所。287段あり、「南無妙法蓮華経」と唱えながら登ると、41回目で頂上に辿り着けるようになっています。

菩提梯(ぼだいてい)

本堂(ほんどう)

日蓮大聖人座像など15体の仏像が安置されている、久遠寺最大の建造物。毎朝、天蓋や釣り灯篭などで飾られた絢爛豪華な内陣に身延山の僧侶が集合して読経する「朝勤」が行われており、誰でも参加できます。天井画は、日本画壇の重鎮加山又造画伯による「墨龍」。どこから見ても必ず目が合うといわれる傑作です。また地下には、国宝や重要文化財などを展示している宝物館があり、写経や写仏の体験もできます。

本堂

祖師堂(そしどう)

日蓮聖人によって西谷に開かれた久遠寺が現在の境内に移るきっかけとなったのが、室町時代の祖師堂の移転でした。その後、地震や火災により消失と再建を繰り返し、現在の建物は1881年に再建されたもの。徳川斉昭の寄進により、江戸 雑司ヶ谷に造営され、天保の改革の一環として破却された鼠山感応寺の本堂を、移築しています。
鮮やかな朱色の堂々とした佇まいが目をひく豪奢な仏教建築で、春には、傍らにある樹齢400年を超えるしだれ桜との見事な共演が楽しめます。

祖師堂

大鐘楼(だいしょうろう)

身延山に4つある鐘楼のうち最も大きな鐘楼で、1882年造。高さ2.4メートル、重量約6トンの大鐘は、徳川家康の側室 お万の方からの寄進で鋳造されたものです。
毎日、朝5時と夕方5時の2回、大鐘をしっかりと撞くために、地面すれすれまで体をのけぞらせ、その反動を使って、全長4.3メートル、胴回り1メートル超の巨大な撞木を操作する、アクロバティックな僧侶の姿を見ることができます。

大鐘楼

御草庵跡(ごそうあんあと)

久遠寺発祥の場所であり、日蓮聖人の魂が眠る聖地。1274年、身延山に入山した日蓮聖人はこの場所に草庵を構え、以後9年にわたって法華経の読誦と門弟の教育に没頭、その間に信仰的に霊山浄土を感じたこの地を自らの永久の住所と定めました。1281年11月、それまでの草庵を改めて十間四面の大堂を建立し、日蓮聖人自ら「身延山妙法華院久遠寺」と名付けられたといわれています。
御草庵跡の奥には、日蓮聖人の遺骨の一部が納められた御廟所があります。

御草庵跡


ロープウェイで山頂に行ってみよう

身延山ロープウェイ​久遠寺の敷地は約300万坪ともいわれ、標高1153mの身延山全体が聖地です。

山頂へは、本堂の裏手や西谷妙石坊側から始まる参道を歩いて登ることもできますが、身延山ロープウェイを使えば、空中からの大パノラマを楽しみながら約7分で行くことができます。

山頂の展望台では、名だたる名峰を従えた雄大な富士山をはじめ、七面山や八ヶ岳連峰の絶景が広がり、とりわけ晴れた日には遠く駿河湾まで見渡すことができます。

奥之院思親閣

身延山の山頂は、日蓮聖人が度々訪れ、故郷である房州小湊のある東の方向を眺めては父や母に思いを馳せ祈りをささげた霊場。日蓮聖人が入滅した翌年、弟子の日朗によって奥之院思親閣が建立され、後年、仁王尊像を祀る仁王門も造られました。また、4本のお手植え杉は、日蓮聖人が両親や恩師の追善、国家の安穏を想い願って植えたもの。樹齢750年を超えたこの杉に、長寿を祈願する人も多いようです。

奥之院親思閣


宿坊に泊まってみよう

宿坊

宿坊とは、宿泊ができるお寺(坊)のこと。久遠寺の塔頭には32の支院があり、そのうち20が宿坊です。かつては主に参拝者や修行僧のための宿泊施設でしたが、現在は参拝・観光を問わず広く受け入れているので、泊まってみてはいかがでしょう。

特産の湯葉を使った彩豊かな精進料理を味わえたり、ご住職と親しく話したり…。なかには、宿坊の本堂でのお勤めに参加できたり、ご住職の説法が聞けたり、瞑想や写経、水行など、ちょっとした修業体験ができたりする坊もあります。

翌朝は、久遠寺の本堂で行われている朝勤に参加するのがおすすめです。早朝から久遠寺の多くの僧侶が集合し、声を合わせ一心不乱に読経する光景は身延山ならでは。厳粛な空気に包まれて、心が洗われ清らかな気持ちになれます。

宿坊に泊まってみよう


御朱印・御首題をいただこう

御朱印​「御朱印」は、本来は寺院に写経を納めた代わりに受ける証としての証明印でしたが、最近は、参拝の記念や記録として、御朱印を集める人も増えているようです。

一方「御首題」は、日蓮法華宗系独得のもので、「法華経」のお題目や、経文の一説を書いていただくもの。いただく際には、御朱印帳とは別に御首題帳が必要です。

身延山では、報恩閣や思親閣に加え、七面山や周囲に点在する32の支院でも、御朱印や御首題をいただくことができます。御朱印は二つとして同じものはなく、同じ寺院でも書き手によって文言が変わることもあります。

身延山には、本堂の「墨龍」や、諸伽藍の襖絵などがデザインされたオリジナル御朱印帳があり、報恩閣や札所で販売されています。


写経で心を研ぎ澄まそう

写経​写経は、仏教の修行のひとつ。経文を1文字1文字丁寧に書き写すことで、雑念に惑わされない集中力や、どのような状況にあっても動じることなく信念を持ち続けることができる、強靭な精神を養うことができます。

身延山では、本堂の地下にある宝物館の入口に写経コーナーがあり、宝物館の拝観料を支払えば自由に体験することができます。願い事に応じて数種類の写経や写仏が用意されているので、体験してみてはいかがですか。

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